2015年09月12日

夢をあきらめないで



岡村 孝子(おかむら たかこ、1962年1月29日 - )は、シンガーソングライター。愛知県岡崎市出身。父は岡崎市議会議長を務めた岡村秀夫。
アルバムのセールス枚数は、総計600万枚を超える。

岡崎市西本郷町に生まれ育つ。岡崎市立矢作西小学校、岡崎市立矢作中学校、愛知県立岡崎北高等学校卒業[1][2]。椙山女学園大学星が丘キャンパス在学中に、同級生の加藤晴子とデュオの「あみん」を結成。1982年に、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)でグランプリを受賞した「待つわ」がヒット曲となる(あみん時代の活動については該当項目を参照)。
1983年に「あみん」の活動を休止。椙山女学園大学を中退後、花嫁修業などをしていた。その時にもソロ活動を求める声があり、東京へ上京して、ソロとして1985年にファンハウスより岡村孝子として単独でデビューする。
1986年、来生たかおの「はぐれそうな天使」のカバーを歌ったところ、ホンダ・トゥデイのコマーシャルに起用され、一気に人気度が高まる。この楽曲は現時点で詞・曲ともに自作でない唯一の楽曲である。
1987年に「夢をあきらめないで」を発表する。応援歌的な内容が幅広い層から支持を集め、岡村の代表作となった。当初は武蔵予備校のCMソングのタイアップがあったが、後年、中学校の音楽教科書「中学音楽 音楽のおくりもの 2・3 上」(教育出版刊)にも採用されている。
「夢をあきらめないで」は、2005年に公開された映画『逆境ナイン』の主題歌(原作者・監督の強いリクエストによる)として起用された。リリースから18年たった2005年にデジタルリマスタリングを施し「夢をあきらめないで 『逆境ナイン』リマスタリング・バージョン」として再発売された。なお、この曲は、乙葉、優木まおみ、金月真美[5]など様々な歌手によりカバーされている。
1995年に所属レーベルをeast west japanに移籍、2003年にBMG JAPANへ移籍している。
その歌声もさることながら、OLが多い同世代の感性を表現した歌詞と曲が、若い女性を中心に支持を集め、90年代初頭には「OLの教祖」と称されたこともあった。
1997年、プロ野球読売ジャイアンツの石井浩郎と結婚、第一子をもうけた。アルバム『Reborn』では、家族への温かな想いを綴っていた。しかし、2003年に離婚。
2002年、ベスト・アルバム『DO MY BEST』発表後、宮城県仙台市からコンサート活動を再開する。コンサート最終日の渋谷公会堂では、当日の1日限りで「あみん」が再結成された。「天晴な青空」と「待つわ」の当時ヒットした2曲を披露した。
2003年、アルバム『TEAR DROPS』をリリース、エッセイ「Happyをさがして」の連載を『産経新聞』大阪版夕刊で開始する。2005年に単行本の書籍としても刊行された。
2005年、NHK『夢・音楽館』で、あこがれであったさだまさしと初共演した。ソロ時代は一切音楽番組の出演を断っていたが、さだとの共演ということで出演した。2005年にNHK-BSプレミアムの番組で岡村孝子コンサートを放送直後、視聴者からDVD発売や再放送等の反響が大きくなった。この共演が縁となり、2006年にはさだとのコラボレーションによるシングル「銀色の少女」が発表された。さらに、コーラスとして参加した加藤との再共演も実現した。
2007年、あみんとしての活動を再開した。同年12月31日に『第58回NHK紅白歌合戦』へ紅組で出場、デビュー曲の「待つわ」を披露している。
なお、あみんとして2008年に発表したアルバム『未来へのたすき』の歌詞カードには、あみん活動再開後も岡村孝子としてのソロ活動は並行して続いている(休止していない)ことが明記されている。
2011年、所属レーベルをヤマハミュージックコミュニケーションズへ移籍。同年9月には、約5年ぶりかつ移籍後第1弾のソロデビュー25周年記念アルバム『勇気』をリリースした。
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吉川晃司 / 30th Anniversary Live "SINGLES+" @



吉川晃司 / 30th Anniversary Live "SINGLES+" A


吉川 晃司(きっかわ こうじ、1965年8月18日 - )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。本名同じ。
広島県安芸郡府中町出身。自身設立の所属事務所、株式会社アクセルミュージックエンターテイメント代表取締役社長。身長182cm。既婚。
1984年、シングル「モニカ」で歌手デビュー。「LA VIE EN ROSE」、「KISSに撃たれて眠りたい」、「VENUS 〜迷い子の未来〜」や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの「BE MY BABY」などのヒット曲で知られる。デビュー当時は映画に多数出演。一時俳優業からは遠ざかっていたが、2000年の『漂流街』出演以降、しばしば取り組むようになった。

吉川の元の実家は原爆投下まで、現在の広島市中心部、原爆ドームと元安川を挟んで真向かいの場所で料亭を営んでいた。原爆投下1か月前に疎開し難を逃れたが、投下直後に父親は入市したため、入市被爆が認められ吉川自身も被爆二世に当たると言う。父親は若い頃、京都の太秦で大部屋俳優をしていたが、家業を継ぐため俳優を諦め板前になったという経緯を持つ。吉川が幼い頃、店が火事になり廃業し、その後喫茶店の経営やタクシー運転手・管理職などをした。
府中町立府中小学校出身(宇梶剛士も2年まで在学で先輩、竹原慎二は後輩になる[8])。修道中学校を経て修道高等学校二年時に中退。
広島の男子進学校である修道中学校時代から水球の選手として活躍し、修道高校時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表。また2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれたほどの逸材で、最年少日本代表としてイタリア・エジプト遠征にも参加した。広島屈指の進学校である修道中学校を受験した理由は、「制服の袖の部分に2本の白線があり、それがカッコよかったから」と述べている。合格したものの授業についていけず、いきなり落ちこぼれたとメディアでも語っている。しかも、いざ入学するとその2本の白線で、修道中学校生だと判ってしまい、悪いことが出来なかったため、嫌いになってしまったそうである(入学後は、その白線を物と擦って消していたという)。
同じ水泳部だった酒井麿に誘われロックバンド(EIGHT CITYS FISH BAND/通称:はまちバンド)に加入、バンド活動も平行して行っていたが、佐野元春のコンサートを見て、カルチャーショックを受け音楽一本に絞る。「音楽の世界でビッグスターになる」とその後のサクセスストーリーを考えた吉川は、「まずはスカウトされること」と考えたが、田舎でスカウトされる筈も無く、シビれを切らして渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」などと自ら手紙を書き送りつけた
posted by なつさん at 13:04| Comment(0) | 懐メロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

藤井フミヤ - I Love you, SAYONARA



藤井フミヤ(ふじいフミヤ、1962年7月11日 - )は、日本のミュージシャン、俳優。元チェッカーズのリードボーカル。福岡県久留米市出身。本名および旧芸名は、藤井 郁弥(読み同じ)。弟は元チェッカーズのサックスプレイヤーでミュージシャンの藤井尚之。

鳥栖駅長などを歴任した国鉄職員の父と美容師の母のもとに第1子として出生。中学生の頃、キャロルに出会い音楽を始める。
久留米市立南筑高等学校卒業後、日本国有鉄道・門司鉄道管理局に就職し、鳥栖駅で半年間の見習期間の後、早岐駅輸送係として貨物列車の操車・入換業務に従事。労働組合は国鉄労働組合(国労)に所属した。
国鉄退職後の1983年にチェッカーズのリードボーカルとしてデビュー、数多くのヒットを飛ばした。歌唱力のみならず外見や言動も注目され、彼の先進的なファッションを真似する若者が増加した。また、オリジナル作品をシングルとして発売した以降の殆どの作詞を担当し、楽曲製作の中心的存在となった。なお、チェッカーズがデビューした頃は国鉄分割民営化を控えた時期だっただけに、藤井の大活躍は当時金沢鉄道管理局の現役車掌だったシンガーソングライターの伊藤敏博の活躍と共に、国鉄マンにとっては希望の星であった。
1992年にチェッカーズは解散、翌1993年から「藤井 郁弥」を「藤井 フミヤ」に改め、ソロ活動を開始した。解散当初、仕事が激減し、当時ロサンゼルス在住の屋敷豪太の誘いで渡米。同じくロス在住の鈴木賢司に選んでもらい、ギブソンのギター「B-25」を購入。これを用いて最初に作曲された曲が『TRUE LOVE』である。同年リリースしたこの曲が240万枚、1996年リリースした『Another Orion』が120万枚[2]を超えるセールスを記録した。
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チェッカーズ ギザギザハートの子守唄



チェッカーズ (THE CHECKERS)は、1980年代から1990年代前半にかけて活動した男性7人によって構成された日本のロックバンド。福岡県久留米市にて結成。

藤井郁弥:ボーカルのほか、曲によってブルースハープやアコースティックギターを担当する。
武内享:ギター、コーラス担当。曲によってはアコースティックギターになることもある。ギターはチェッカーズの音楽の中ではリズムギターとしての要素が強い。よってギターソロも少ない。
高杢禎彦:低音のボーカル担当。タンバリン。曲によってはオクタパッド(パーカッションの一種で、鍵盤の代わりに打面がついたシンセサイザー)も担当する。曲によってはリードボーカルも担当する。アカペラにおいても一番低いパートを担当。ステージでは向かって右側。
大土井裕二:ベース、コーラス担当。
鶴久政治:コーラスでは藤井郁弥よりも高い音程を担当するが、声は結構太い。ボーカルのほか、曲によってキーボード、タンバリンも担当する。アカペラではリードボーカルも担当する。ステージでは向かって左側。
徳永善也:ドラム担当。主にSONORのドラムを愛用している。ライブでは度々ドラムソロを披露している。
藤井尚之:サックスを主に担当しているが、曲によって、ソプラノ、アルト、テナー、バリトンを使い分けている。テナーサックスを使用する曲が多いので、テナーサックスを使っているイメージが強い。コーラスやフルート、ギターを担当することもある。アカペラでは一番高い声を担当。
立ち位置はボーカルは左から、鶴久、藤井郁弥、高杢、楽器陣は左から藤井尚之、徳永、大土井、武内が基本。(ボーカルの関係で入れ替わったりすることもある。) やはり郁弥がメインでボーカルを務める曲がほとんどである(シングル曲は全て)楽器陣4人にもそれぞれメインボーカルを担当する曲がある。コーラスはメインボーカルと徳永善也を除いた5人ですることが多い。
アイドル的バンドではスタジオミュージシャンがレコーディングで替わりに演奏することが多かったが、彼らはオリジナルアルバムで自ら演奏しており、年を経るごとに演奏が上達している。
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忌野清志郎 雨あがりの夜空に

posted by なつさん at 11:45| Comment(0) | 懐メロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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