2015年09月12日

つんく♂『しょっぱいねソロリップVer.』

つんく♂『しょっぱいねソロリップVer.』(TSUNKU♂[Shoppaine (salty tears)]


つんく♂(1968年10月29日 - )は、日本の音楽家、作詞家、作曲家、実業家。総合エンターテインメント事務所TNX(ティーエネックス)株式会社代表取締役社長。公式サイトでは自身を「総合エンターテインメントプロデューサー」としている。
1992年にシャ乱Qのフロントマン(ボーカリスト)としてデビュー後、モーニング娘。及びハロー!プロジェクトの総合プロデュースを務め、以降音楽プロデューサーとしても活動。本名、寺田 光男(てらだ みつお)。大阪府東大阪市出身。血液型はB型。身長170cm、体重58kg。近畿大学附属高等学校、近畿大学商経学部卒業

2014年3月6日、喉頭がんを患ったことを公表した[8][9]。9月25日、いったん「完全寛解」を発表したが、がんが再発見され、10月上旬に手術を受けていたことを10月17日に明らかにした。その後2015年1月20日、日本を元気にする会の結成記者会見にメッセージを寄せた際、松田公太議員により、声帯摘出したことが明かされる(この場では「なかなか声が出せないという状況」とされていた)。
2015年4月4日、自身がプロデュースした母校・近畿大学の入学式に出席。2014年10月の手術の際に声帯を摘出し、声を失っていたことを自ら公表した。2013年9月21日に東京・中野サンプラザで行われたシャ乱Qの結成25周年記念ツアーの最終公演が最後の歌唱となった。。ブログでは、現在の心境を綴った本を執筆中であることを明らかにした。
2015年7月3日、東京ドームで行われたプロ野球・楽天―日本ハム戦で始球式をつとめた。声帯摘出を告白した4月4日の近畿大学入学式の後、初めての公の場となった。
2015年7月、声帯全摘出以来、習得が難しいとされている“食道発声法”のトレーニングを重ねていることが報じられた。まだ聞き取りにくいほどの小さな「声」であるが、発声することが出来るようになってきているという。
2015年9月10日、手記『だから、生きる。』を出版。同書の中で、前年10月のモーニング娘。'14のニューヨーク公演後にハロー!プロジェクトの総合プロデューサーを退いていたことを明らかにした
posted by なつさん at 13:27| Comment(0) | 懐メロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

負けないで - ZARD




ZARD ALBUM COLLECTION MEDOLEY

ZARD ALBUM COLLECTION 〜20th ANNIVERSARY〜 2012.01.01 Release!!

ZARD 1stアルバム『Good-bye My Lonelliness』から最後のオリジナルアルバム『君とのDistance』ま-でのオリジナルアルバム11作と未発表音源及びレア音源を収録したプレミアムディスク-を含む、全12枚・全128曲を収録!
2枚のダブルミリオン・アルバムと4枚のミリオン・アルバム、そして現在生産中止とな-っている『時間の翼』も、もちろん収録!

その中から、代表曲のメドレー映像を配信!!

  遠い日のNostalgia
  負けないで
  君がいない
  揺れる想い
  きっと忘れない
  Oh my love
  ハイヒール脱ぎ捨てて
  マイフレンド
  心を開いて
  Today is another day
posted by なつさん at 13:15| Comment(0) | 懐メロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夢をあきらめないで



岡村 孝子(おかむら たかこ、1962年1月29日 - )は、シンガーソングライター。愛知県岡崎市出身。父は岡崎市議会議長を務めた岡村秀夫。
アルバムのセールス枚数は、総計600万枚を超える。

岡崎市西本郷町に生まれ育つ。岡崎市立矢作西小学校、岡崎市立矢作中学校、愛知県立岡崎北高等学校卒業[1][2]。椙山女学園大学星が丘キャンパス在学中に、同級生の加藤晴子とデュオの「あみん」を結成。1982年に、ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)でグランプリを受賞した「待つわ」がヒット曲となる(あみん時代の活動については該当項目を参照)。
1983年に「あみん」の活動を休止。椙山女学園大学を中退後、花嫁修業などをしていた。その時にもソロ活動を求める声があり、東京へ上京して、ソロとして1985年にファンハウスより岡村孝子として単独でデビューする。
1986年、来生たかおの「はぐれそうな天使」のカバーを歌ったところ、ホンダ・トゥデイのコマーシャルに起用され、一気に人気度が高まる。この楽曲は現時点で詞・曲ともに自作でない唯一の楽曲である。
1987年に「夢をあきらめないで」を発表する。応援歌的な内容が幅広い層から支持を集め、岡村の代表作となった。当初は武蔵予備校のCMソングのタイアップがあったが、後年、中学校の音楽教科書「中学音楽 音楽のおくりもの 2・3 上」(教育出版刊)にも採用されている。
「夢をあきらめないで」は、2005年に公開された映画『逆境ナイン』の主題歌(原作者・監督の強いリクエストによる)として起用された。リリースから18年たった2005年にデジタルリマスタリングを施し「夢をあきらめないで 『逆境ナイン』リマスタリング・バージョン」として再発売された。なお、この曲は、乙葉、優木まおみ、金月真美[5]など様々な歌手によりカバーされている。
1995年に所属レーベルをeast west japanに移籍、2003年にBMG JAPANへ移籍している。
その歌声もさることながら、OLが多い同世代の感性を表現した歌詞と曲が、若い女性を中心に支持を集め、90年代初頭には「OLの教祖」と称されたこともあった。
1997年、プロ野球読売ジャイアンツの石井浩郎と結婚、第一子をもうけた。アルバム『Reborn』では、家族への温かな想いを綴っていた。しかし、2003年に離婚。
2002年、ベスト・アルバム『DO MY BEST』発表後、宮城県仙台市からコンサート活動を再開する。コンサート最終日の渋谷公会堂では、当日の1日限りで「あみん」が再結成された。「天晴な青空」と「待つわ」の当時ヒットした2曲を披露した。
2003年、アルバム『TEAR DROPS』をリリース、エッセイ「Happyをさがして」の連載を『産経新聞』大阪版夕刊で開始する。2005年に単行本の書籍としても刊行された。
2005年、NHK『夢・音楽館』で、あこがれであったさだまさしと初共演した。ソロ時代は一切音楽番組の出演を断っていたが、さだとの共演ということで出演した。2005年にNHK-BSプレミアムの番組で岡村孝子コンサートを放送直後、視聴者からDVD発売や再放送等の反響が大きくなった。この共演が縁となり、2006年にはさだとのコラボレーションによるシングル「銀色の少女」が発表された。さらに、コーラスとして参加した加藤との再共演も実現した。
2007年、あみんとしての活動を再開した。同年12月31日に『第58回NHK紅白歌合戦』へ紅組で出場、デビュー曲の「待つわ」を披露している。
なお、あみんとして2008年に発表したアルバム『未来へのたすき』の歌詞カードには、あみん活動再開後も岡村孝子としてのソロ活動は並行して続いている(休止していない)ことが明記されている。
2011年、所属レーベルをヤマハミュージックコミュニケーションズへ移籍。同年9月には、約5年ぶりかつ移籍後第1弾のソロデビュー25周年記念アルバム『勇気』をリリースした。
posted by なつさん at 13:05| Comment(0) | 懐メロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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